目次
1. はじめに
「仏教とは?」よく聞くこの疑問。
「仏教」とは、今から約2500年ほど前、現在のインドやネパールを中心に活動された実在の人物、ガウタマ・シッダールタという方を開祖として始まったものと言われております。
今回この記事でお話しさせていただく「仏教」は、わたくし宝珠院で副住職を務めさせていただいてる倉松 宗道の考える「仏教」についてお伝えいたします。「仏教」とは、ただひとつ決まったものではなく、自分の年齢を重ねるとともに、時代の変化とともに様変わりするものだと考えております。
宝珠院に携わってくださっているより多くの方に、このメッセージが届けられたら嬉しいです。
2. 世界3大宗教
わたしの考える「仏教」の話をする前に、皆さんは世界三代宗教をご存知でしょうか?キリスト教、イスラム教、そして仏教です。この3つの宗教ですが、キリスト教とイスラム教には共通していて、仏教だけこれらと革新的に違うことがあります。
それは、絶対的ないわゆる「神」がいないことです。キリスト教には、イエス・キリスト。イスラム教には、アッラー。仏教は、自然に存在する全てのものが信仰対象になるため、唯一絶対の神がいないのです。
3. わたしの考える「仏教」とは
さて、わたしの考える「仏教」とは、自分自身のライフスタイルそのもの です。
では、「自分自身のライフスタイル」とは。それは、一日一日の在り方 ということです。
それはすなわち、一日一日の生活を正すこと。朝起きて、ご先祖様に感謝して、今いる環境に感謝して、わたしで例えると、お檀家さまや保育園に関わるすべての方の安心安全を祈ること、困っている人がいたら助けになり、ゴミが落ちていたら掃除をする。一日一日を人のために生きること、寝る前にすべてのことに感謝をして一日を終えること。
この一日の在り方そのものが「仏教」ということです。
仏の教説を書きとどめた書物である「経典に」記されている言葉があります。"功徳を積むことで道は開ける"、"功徳を積むと機運が高まる"。功徳とは、良い行いを積むということです。これは、本当にそうだなとつくづく思うわけです。
20代のときに考えていた「仏教」と、30代から今に至るまでに考えるようになった「仏教」は明らかに異なります。わたしがなぜそう感じるようになったのか。
おそらく、一般的な僧侶とも「仏教」に対しての考えが異なります。なぜなら、わたしは30代になって、意識的に日本国内はもちろん、世界中を旅するようにしたからです。世界に目を向け、足を運び、そして世界中の宗教を直に体感してまいりました。僧侶としてでなく様々な事業にも関わってきました。そこには、たくさんの学びがあり、日本に、しかも寺にいるだけじゃ感じられないことをたくさん体感することができました。
たくさんの情報と景色を見た後に、改めて宝珠院に戻る度に「仏教」を考え直す機会が訪れます。そして、その度にこの考えに行き着くのです。
すなわち、「仏教」とはこう考えます。『わたしたち人間は、最期に悟りをひらくために、今何をするべきかを考えていくこと』だと。
4. おわりに
私は社会を見てきました。そのおかげで、より深く「仏教」について考えるようになりました。そして、これからも社会を見続けたいと思っております。わたしはそれを続けることで『悟り』をひらけるのではないかと思っております。